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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)8278号 判決

原告 星野静彦

被告 国

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金八十六万四千円及びこれに対する昭和二十七年六月三日から完済するまでの年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、

(一)  昭和二十七年当時、原告は株式会社大成紙業社の名称を使用して紙類の販売業を営んでいた者、訴外依田文男は原告の被用者として原告を代理し原告のため農林省方面への紙の販売業務を担当していた者、訴外小沢太平は農林省農政局農業保険課(以下「農業保険課」と略称)経理班の支出負担行為認証係長として支出負担行為認証官である農林省農政局長の印章を保管し支出負担行為が予算の目的に合致しその金額に誤りがないかどうかを審査した上同人保管の右印章を使用して支出負担行為の認証に関する文書を作成する事務に従事していた者である。

(二)  依田文男は小沢太平と友人関係にあつたが昭和二十七年三月頃小沢太平が農業保険課の物品購入係の事務を担当している旨同人より聞いたのでその後しばしば同課に小沢太平を訪ね紙の売買について交渉していたところ、小沢太平は被告のため物品を購入する権限がないのにその職務上の地位を利用して依田文男に対し農業災害関係の報告用紙としてSロール紙四百連を買入れたいと申出で、更に同年五月二十六日に至り農林省用紙に支出負担行為認証官農林省農政局長の名義を冒用し農林省が原告に対しSロール紙四百連を発注する旨記載し自己保管の前記印章を押印した発注書一通を偽造し、これを依田文男に交付してあたかも真実農林省が右用紙の発注をしたかのように装い、その結果原告をしてその旨誤信させ、東京都中央区住吉町所在訴外東京製版印刷株式会社において売買名義で原告より同月二十八日に八十六連、同年六月二日に三百十四連以上合計四百連のSロール紙の交付を受け、その頃これを第三者に譲渡して原告の所有権を侵害し原告に対し右紙の当時の時価合計金八十六万四千円に相当する損害を蒙らせた。小沢太平の右不法行為は被告の業務の執行について行われたものである。したがつて被告は小沢太平の使用者として原告に対し右損害金及びこれに対する右不法行為の後である昭和二十七年六月三日から完済するまでの年五分の割合による遅延損害金の支払をする義務がある。

(三)  なお依田文男が被告主張のとおり農林省に勤務し同省会計課主計係の事務を担当していたことはあるが、その事務の内容は補助金の交付に関するものであつたので物品購入の手続には暗かつた。また前記取引に至るまで原告は農林省の各課と十数回にわたつて取引を行つてきたが、その際にも支出負担行為担当官である各課長とは直接の交渉をせず常にその部下職員と交渉しておりその間一度も間違を生じたことがなかつた。

(四)  仮に依田文男が前記Sロール紙四百連の取引が小沢太平個人の取引であることを知つていたとしても、原告は依田文男に対し農林省各課との紙の取引についてだけ原告を代理する権限を与えたものであるところ、同人は農林省ではなくその一職員に過ぎない小沢太平に対して原告から大量の前記Sロール紙を販売するときは農林省に対してこれを販売する場合に比し代金回収その他について原告にとり著しく不利益になることを知りながら小沢太平個人にこれを販売し、原告に対しては小沢太平が偽造した前記発注書を提出しあたかも農林省にこれを販売したかのように報告したので、原告はその旨誤信し前記Sロール紙を小沢太平に引渡した結果前記損害を蒙るに至つたものである。そして小沢太平は依田文男と共謀して前記発注書を偽造し依田文男の右背任行為に加担したのでありかつ小沢太平の前記発注書の偽造は被告の業務を執行するについて行われた行為である。したがつて被告の前記責任には少しの変りもない。

(五)  訴外山本力から被告主張の漬物類による代物弁済の話はあつたけれども、そら保管倉庫に行つて見たところ漬物は腐敗しかかつておりかつ倉庫料も未払であつたので結局原告はその引取をしなかつた。と述べ、

立証として、甲第一ないし第五号証を提出し、証人依田文男、同深田秀明、同伏見旦生、同小沢太平、同小杉良一、同東富三郎の各証言並びに原告本人本人尋問の結果を援用し、「乙第七ないし第九各証の成立は知らない。その余の同号各証の成立を認め、同第四号証、同第五及び第六号証の各一、二を利益に援用する。」と述べた。

被告指定代理人らは主文第一項同旨の判決を求め、答弁として、

(一)  原告主張の(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実のうち、小沢太平が原告主張どおりの発注書を作成して依田文男に交付したことは認めるが、小沢太平がSロール紙四百連を詐取したこと、同人の行為が被告の業務の執行について行われたものであること、原告が小沢太平の行為によつて蒙つた損害の額が原告主張のとおりであること、はいずれも否認する。原告主張のSロール紙四百連は小沢太平、訴外小沢郷子、山本力らと原告との間で売買されたものであつて、その間の事情は次のとおりである。小沢太平の妻小沢郷子は双葉商会の名称を用いて謄写印刷業を営んでいて右Sロール紙の取引に至るまでも原告との間で用紙の売買取引を行つており、原告側では依田文男がその取引を担当していたのであるが、昭和二十七年春から小沢夫妻及び山本力が共同事業を始めることとなりその一環として果物包装紙の印刷販売を計画し右三名が双葉商会の名で依田文男に用紙購入を申込んだ結果同年五月二十八日包装紙の印刷所である東京製版印刷株式会社においてSロール紙八十六連を小沢太平が、同年六月二日同所において同紙三百十四連を山本力が、いずれも依田文男よりその引渡を受けるに至つたものである。依田文男は右の事情を十分に承知していたが原告に対する自己の信用や原告の取引先に対する原告の信用を増加するためにあたかも農林省と大量の取引があるかのように装う手段として小沢太平を農林省附近の喫茶店に招き自ら作成した発注書の案を示してその作成を求め、嫌がる小沢太平に対して一時的に利用するだけですぐまた返戻すると申し向け結局同人をして前記発注書を作成交付させたものであり、農業保険課名義の納品書にしても既に双葉商会より受領書及び代金額の約束手形を交付してあるのに同年六月十日頃依田文男がその前文を作成してきて自分の顔を立ててほしいと強請したので小沢太平はやむなくなくこれに押印して同人に交付したものである。

(三)  なお依田文男は昭和二十一年七月から昭和二十四年八月まで農林省に勤務しその間同省会計課主計係の事務を担当したことがあり原告は同人の右経歴を利用し同省方面の販売を担当させていた程であるから、依田文男は同省の物品購入の手続は十分知つていたはずであるのに、本件の取引については入札、見積書の提出、契約書の作成などの正規の手続によろうとさえせず、農業保険課に出入しながら支出負担行為担当官である課長や経理班長その他の物品購入係員とは一切面談したことがなく同課では小沢太平だけと折衝し、かつ同課と無関係な小沢郷子や山本力らと会合し折衝していたという事実からしても、前記取引が農業保険課とは無関係であることが明かである。

(四)  同(四)の事実のうち小沢太平が依田文男と共謀したとの点は否認する。

(五)  仮に小沢太平の行為が不法行為に当るとしても、原告は山本力より小沢太平の損害賠償全額の履行に代えて漬物類の引渡を受けたから右債務は消滅している。と述べ、

立証として、乙第一及び第二号証、同第三号証の一、二同第四号証同第五号及び第六号証の各一、二同第七ないし第九号証、同第十号証の一、二を提出し、証人、小沢太平、同小沢郷子、同島英夫、同三島三郎同伏見旦生の各証言を援用し、「甲第三号証の成立を認め利益に援用する。同第一及び第二号証、同第四号証の成立は否認する(たゞし同第二号証の農業保険課の記名印及び印章、同第四号証の農業保険課の記名印及び小沢太平の印影は真正なものである)。」と述べた。

理由

昭和二十七年当時、原告は株式会社大成紙業社の名称を使用して紙類の販売業を営んでいた者、訴外依田文男は原告の被用者として原告を代理し原告のため農林省方面への紙の販売業務を担当していた者、訴外小沢太平は農業保険課経理班の支出負担行為認証係長として支出負担行為認証官である農林省農政局長の印章を保管し支出負担行為が予算の目的に合致しその金額に誤りがないかどうかを審査した上同人保管の右印章を使用して支出負担行為の認証に関する文書を作成する事務に従事していた者であること、小沢太平は同年五月二十六日、農林省用紙に支出負担行為認証官農林省農政局長の名義を冒用し農林省が原告に対しSロール紙四百連を発注する旨記載し自己保管の前記印章を押印した発注書一通を為造し、これを依田文男に交付したこと、は当事者間に争いがない。

原告の主張するSロール紙四百連の取引の具体的経過を見るにいずれも成立に争いのない乙第四号証、同第五号証の一、二証人依田文男の証言原告本人尋問の結果を綜合すると、依田文男は昭和二十一年頃から昭和二十四年頃までの間農林省大臣官房会計課に主計係として勤務していたことがあり農林省方面に知り合いも多かつた関係上、昭和二十六年九月頃原告に使用されるようになつてからは原告を代理して原告のためもつぱら農林省方面に紙を販売する業務を担当し、原告は依田文男を信用して農林省方面への販売については一切を同人に委せていたことが認められる。一方証人小沢太平、同小沢郷子、同見伏旦生の各証言を綜合すると、小沢太平の妻訴外小沢郷子は昭和二十六年頃から双葉商会の名称で謄写印刷業を営んでいたところ、依田文男は紙の販売のため農林省に出入しているうちに昭和二十七年三月頃から顔見知りの小沢太平とも紙の取引につき話をするようになり、小沢太平は自分の妻が謄写印刷をやつているから紙の取引をしたいと申出で、依田文男は小沢太平が農林省と関係なく個人で取引するものであることを十分承知して同人と金額約二、三千円の更紙の取引を三、四回していたこと、同年四月頃訴外山本力は当時東京パチンコ連合会からパチンコ玉の注文を受けその仕入資金の調達について小沢太平に相談をもちかけ、ここで両名は依田文男が従来も紙の代金について便宜をはかつてくれたこともあり、また山本力は以前に包装紙の印刷販売をしていたこともあるので、依田文男を通して原告からSロール紙を買い代金の支払は暫く待つてもらい、その間にこれを包装紙に印刷して他に販売しその代金でパチンコ玉を任入れ紙の代金はパチンコ玉の代金が入つたらそのうちから払うことを計画し、その頃小沢太平からその旨依田文男に打ち明け紙の代金はそう遅くならないうちに払えるからと言つて同人の協力を頼みなお同人にもこの仕事に参加しないかと誘つたところ、依田文男は小沢らの仕事に参加することは断つたけれども紙の販売については小沢太平の希望どおりSロール紙四百連を小沢太平に販売し訴外東京製版印刷株式会社において引渡をすることを承諾したことが認められ、右認定に反する証人依田文男の証言部分は信用できない。そして原告本人尋問の結果及び本件弁論の全趣旨によると、依田文男は原告には小沢太平との前記更紙の取引及びSロール紙の取引をすべて農林省との取引であると報告しており、原告は依田文男を信用していて同人の報告に別段疑をさしはさむことなく同人のする取引はすべて農林省との間におけるものであると誤信していたこと、他方原告は前記会社の名称を使用して紙の販売を営んではいたが現実には会社の設立登記もせず、従業員も原告と依田文男の二名以外にはなく、取引も数千円から一、二万円程度の少額なものが多く一ケ月の取引高はせいぜい十四、五万円位なものであり、前記Sロール紙四百連(価格八十六万四千円)の売買のような大量の取引は原告にとつて開業以来始めてのことであり、しかもこれを農林省とではなく代金支払について確実な保証のない小沢太平個人と取引するということがわかれば、原告はそう簡単にこれを承諾するのではなかつたこと、依田文男は原告の被用者として原告のこのような事情を十分知つており、しかも原告から委せられているのは農林省各課との取引で個人との取引ではなく、したがつて農林省以外の個人と大量の取引をしようとする以上一応原告の指示を受けなければならないのに、原告のため原告の代理人として農林省方面における販路拡張を委せられており、かつ原告の同人に対する信頼が厚かつたことに乗じて、代金回収さえできればという気持であえてその任務に反し原告に対し虚偽の報告をしたものであること、が認められ、右認定に反する証人依田文男の証言部分は信用できない。ところで、証人小沢太平、同深田秀明、同依田文男の各証言、原告本人尋問の結果並びに本件弁論の全趣旨を綜合すると、当時原告にSロール紙の手持品がなかつたので依田文男は原告を代理して訴外秀明社に行き農林省の発注だがSロール紙四百連を出荷してほしいと申し入れたところ、秀明社では大量の品物であるから農林省との取引の成立を証明するものがないと品物は出せないと言うので、依田文男は同年五月二十六日農林省に小沢太平を訪ね、農林省名義の発注書がないと紙の仕入れができないから発注書を書いてほしいと頼んだが、小沢太平は発注書など書いたことがないと一応断つたものの、依田文男が発注書のひな型を書いて見せ、このような形式でよいから是非書いてほしいと頼むので小沢太平は遂に意を決し勝手に農林省用紙に依田文男の示したひな型どおりタイプライターで印書し、他に適当な印がないので同人が認証係として職務上保管する「支出負担行為認証官農林省農政局長」の記名印を押印し、その下に同じくその保管に係る支出負担行為認証官の印章を押印してSロール紙四百連を発注する旨の原告宛支出負担行為認証官農林省農政局長名義の発注書(甲第一号証)を偽造し、これを依田文男に交付し、依田文男はこれを原告に見せたので原告はこの発注書によつて前記誤信を一層強めるに至つたこと、この発注書が出されたので秀明社もSロール紙四百連は農林省の発注に係るものと誤信してこれを原告に卸売することになつたこと、こうして原告より小沢太平に対し同人の指定した東京製版印刷株式会社において同年五月二十八日に八十六連、同年六月二日に三百十四連以上合計四百連のSロール紙が引渡されたこと、小沢太平はこの引渡を受けた後に農業保険課において、依田文男が持参した右Sロール紙の農業保険課宛納品書二通(甲第二及び第四号証)の各末尾に、無断で同課庶務係の保管に係る「農林省農政局農業保険課」の記名印を押印し、そのうちの一通には更に右記名印の下に同じく庶務係の保管する同課の印章を押印した上、それぞれに自己の認印を押印してこれを依田文男に交付したこと、右Sロール紙四百連は東京製版印刷株式会社において直ちに包装紙として印刷され前記山本力から第三者の手を経て他に販売されたがその販売代金は予期に反して入らず結局現在に至るまで回収できないこと、そのために原告はSロール紙四百連の代金の支払を全く受けられず遂にその営業を廃止するに至つたことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

そこで小沢太平の右認定の行為が同人の職務の執行について行われたものかどうかを判断する。会計法並びに予算決算及び会計令によると、支出負担行為(国の支出の原因となる契約その他の行為、以下同じ。)の認証制度は予算執行の適正を図るため支出負担行為を内部から抑制する一つの制度であつて、官庁において支出負担行為認証官が設けられると、支出負担行為をする支出負担行為担当官は支出負担行為をする前にその内容を表示する書類を支出負担行為認証官に送付してその認証を受け、かつ支出負担行為認証官の作製する支出負担行為に関する帳簿に登記をすることを要し、この認証及び登記の後でなければ支出負担行為をすることができないことになつているが、この認証及び登記は支出負担行為自体の内容をなすものではなくその前段階に属するこれと別個の行為であつて、認証及び登記の後支出負担行為が行われるときには支出負担行為認証官がこれに関与することはなく、したがつて支出負担行為が契約であつて契約書を作成する場合においても契約書を作成しこれに署名押印するのは支出負担行為担当官であつて、支出負担行為認証官がこれに関与することはない。そして支出負担行為担当官と支出負担行為認証官とは原則として兼務できないこととして不正な支出負担行為を防止する建前がとられている。ところで証人小沢太平、同島英夫の各証言並びに本件弁論の全趣旨を綜合すると、前記Sロール紙の取引が行われた当時農業保険課経理班には予算決算係、会計係、認証係の三係があり、同課の物品購入についての支出負担行為担当官は同課長、支出負担行為認証官は農政長局であつたが、物品購入に際しては商人の指定、物品の選定、予定価格の決定、見積書の徴取、入札手続、その他商人との交渉などはすべて会計係が担当し、次いでその契約が予算の日的に合致するか、予算の範囲内であるかなどを認証係で調査した上支出負担行為認証官である農政局長の認証を受け、最後に支出負担行為担当官である同課の課長が契約の承諾の意思表示をし、物品は納入書と共に会計係において受領され、代金は支出官である農政局長の決裁を受けた後会計係において振出す小切手によつて支払うようになつており、結局同課の会計係は支出負担行為担当官の権限に属する事務の補助及び支払事務をその職務とし認証係は支出負担行為認証官の権限に属する事務の補助をその職務としているものであること、同課においても会計法令の趣旨にしたがい会計係と認証係とは兼務できないことになつており、小沢太平は当時認証係長として支出負担行為認証官の記名印及び印章を保管し右のような認証事務を担当し、右印章を使用して認証事務に関する支出負担行為認証官名義の文書を事実上作成することを職務としており、事実上においても右認証事務のほかに会計係の事務に属する物品購入に関する商人との交渉、契約書その他物品購入に関する文書の作成、購入物品の受領などの事務を行うことのできるような地位にはなかつたこと、同課において用紙の購入は随意契約によつて行われるのが普通でありしたがつてこれについて契約書の作成は省略することができるのであるが、しかしこの場合でも見積書を徴するだけで発注書を作成して商人に交付するようなことはしていないこと、が認められ、右認定に反する証拠はない、してみると小沢太平の前記一連の行為は同人の職務上保管する支出負担行為認証官の記名印及び印章の濫用行為を主要部分としてはいるけれども同人の職務の執行とは関連のないものと認めるのが相当である。

よつて原告の本訴請求はその他の点を判断するまでもなく失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤原英雄 立沢秀三 山木寛)

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